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2011/09/25//Sun * 19:31
●○いわゆる日本人

自分の嫌いなものについて書いたとして、それを読んで何か愉快な気持ちになるような人は基本的に居ないだろうからあまり書きたくないのだけれども、かといって好きなものについて書いても結局何も伝わらないし、人間という生き物は基本的に自分の体験から想像することしか出来ないくらいのレベルなので、嗜好或いは思考についてのコミュニケートというのは無駄なのかなと思い始めている。

あの忌まわしい天災から半年が経って、結局原子力発電所事故の事態の収拾が一般人の納得いく範囲にまでついていないこともあって、自称リベラルの知り合いがギャーギャー喚いていたりして、本当に不愉快です。どう不愉快なのかというと、彼或いは彼女の言っていることが結局事実認定に基づいているのではなくて当人の印象が論拠になっている点。今時リベラルもクソも無いと思うが、まぁそういう話はまた今度にする。長くなるし。

いわゆる「お上」を批判する人たちというのは(仮に俺がお上に対して比較的従順な人間であることを加味したとしても)とにかく理由を探して、日頃の自分たちのルサンチマンを発散させている。少なくとも自分の目からはそういう風に見える。その割に自分たちが責任を引き受ける気はさらさらないのです。ちゃんとした意見があってそれなりの頭があれば、建設的な意見表明が一番効果的だということはよくわかっているはず。大阪府知事の橋下が「上司の言うことを聞きたくないのなら辞めればいいし、そうでないなら自分が偉くなれよ」というような趣旨の発言をしていたけれども、全くそれと同じ事を言いたい。日本を動かしている官僚様方は本当に優秀だ。多少柔軟性にかけるかもしれないが、急場を凌ぐことにかけてそのシステムが破綻したことはない。現代日本で餓死する人がどれだけいますか。あるいは治安悪化による凶悪事件が起こり得ますか。大した額の税金も払っていない連中がピーチクパーチク言うのは本当に我慢ならない。子供を早急に避難させろという人に、「その主張には賛同するけど、どこで誰が引き取って世話するの?あなたの家でも引き取るの?」と質問したら、自分の家ではそれは無理だけど政府がなんとかするげきという答えが返ってきてものすごく笑えたことがある。なんだそりゃと。

そもそも、この国のようにメディアからも一般大衆からも「一体感」が強調されて、そこに何の疑問も持たないで生きている人がこれだけ多いことが世界から見れば異常なのに(その理由はほぼ単一民族国家であることと、専門性の欠片もないメディアの苦肉の策による報道のせい)そのことを誰も指摘しないし、やれ枝野が皆を元気づけたと盛り上がったり、東電の社長がうんたらかんたら、、そんな現象がごくごく普通に受け入れられているのは気持ちの悪いことです。空気を読むことが正しいことを言うよりも優先されることがある。そういう馴れ合いにはもうウンザリしている。別に日本人を批判したいわけじゃないけど。そういう認識を持つ人がもっと増えていいと思うという話で。

例えば、今時生きる上でのモデルを提示されてそれで喜んでるのは一部のバカだけで、消費が冷え込んでいるからバカを煽るために雑誌の記事を作るのは分からなくもないけれども、これだけ個人主義の時代になったのにもかかわらず未だに「モテる」ということが「ある種」の人間たちにとって人生の第一義になっている点とか。
自分の人生を生きるとか、他人とどう関わるかとか、そういう視線で物事を考える気がない。自分にもある同質の部分をスターに見出して安心しているだけなのです。そんなことしても凡人は凡人なんだけどな。まあいいや。

最近は割とこういう嫌な事もあまり書かないで大人しくしていたけど、自分のこういう自国への批評の正当性ということに疑問というか、その根源をどこに置くかということについて考えていたのです。別にしたくもない異国暮らしが6年目に突入して、色々思うことがあったので久しぶりに書いたのです。

別に自分の特殊性について誇るわけではないけれども、こういう思考回路に至ったのはガキの頃から引越しが多くて更に自分の性格的な問題もあって大した友達が出来なかったから、日本式の空気を読むという行動にコミット出来なかったせいもあるとは思っています。難しいよね色々と。「地元」があって幼馴染がいて、和気藹々と生きてたらこんなことは考えなかっただろうしピアノも弾いていなかっただろうね。おしまい。
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2011/08/10//Wed * 08:04
●○ものすごく久々に更新する件 演奏という行為についての雑感

Eee Pad Transformer TF101を買ったのでタイピング練習代わりに久々に更新。日本語の変換精度はかなり低いので入力は非常に面倒だけど、何事も慣れのはず。
この夏はカナダにいったり、クールシュヴェルへいったり、珍しく色々なところへ出掛けている。自分にしては妙にアクティブだ。たぶんこれは残り少ない(はずの)欧州滞在のうちに、出来るだけ行けるところに行こうという庶民的な焦りが原因であるはずで、ようく考えれば別に職業柄そのうちヨーロッパを回るようになる可能性も決して低くないのに、なんだかもったいないような気がしてしまって行動に移してしまっている。まぁ庶民だから庶民的思考回路に陥るのは仕方ないのだけど。

庶民的感覚というのはどんな分野でも必要で、たまに自分は普通の人間ではない前提で物事を進めていく人を見掛けるけれどもそういう人ほど悲しいかな、かなりの凡人であります。アイデンティティの根幹に関わる部分だからあまりはっきりとは指摘できないのが辛いところだけれども、つまるところ芸術(笑)というやつも人間の普通に持ち合わせている感覚の特殊な形でのアウトプットであるわけだから、普遍性というか庶民性というか、そういうとっても普通の感性というのがとても大事になってくる。

ちょっと真面目な話というか、この間少しtwitterにも書いたことだけれども、演奏という行為は自己表現ではなくて自己犠牲的要素が大きいという話をする。俺たちは作曲家の感性を想像してそれを自分からアウトプットしていかなければならない。そしてそこに求められる感性は現代の自分の身の回りの普通の感性ではなくて、作曲当時の彼(あるいは彼女)の中でのニュートラルなポジションであって、それを演奏家たちは探さねばならない。ごくごく当たり前の作業だし、それくらいのことはある程度のレベルにある演奏家ならば本能的にわかっているはずだが、わかっているはずなのに結構な割合で忘れる人間が出てくる。そして演奏は自己表現であるとか、音楽は人を元気付けるだとか、適当なことを言い出すようになる。こんな状態に陥る原因は悲しいことに非常に明確に判別できてもともと頭を使うという行為から大分遠い場所で人生の大半の時間を過ごしてきた演奏家・音楽家が無理して理屈を頭でこねくり回し始めたときに起こる。ああ。

演奏は再現だし、音楽が人を元気づけるのではなくて人が音楽を聞いて勝手に元気を出す、が正解のはずなのに。
それでもなんで俺たちが演奏するかっていったらねえ。そんなこと書くまでもないけれども。


2011/01/18//Tue * 08:20
●○忙しいときほど仕事が捗るという説について

嘘ですね、ありゃあね。

自慢するわけじゃないけれども、今とっても忙しい。今度の土曜日に伴奏で本番があって、再来週の土曜日にフルートとデュオのリサイタルがあって、それらの合わせが立て込んで自分の練習をする暇がない。論文も全く進んでいないし、3月にはサントリーの小ホールで室内楽のコンサートがあるからそれの準備もしなきゃいけなくて、譜読みもままならない。4月に友達の録音の伴奏がソナタ丸々1曲分あって5月は自分の録音があって6月が卒業試験ですよ。毎月何かしら本番があるよ。

もちろん自分以上に忙しくしている人もいるのだけれども、これだけ一気に色々なことがあると一つ一つの作業の能率が落ちるのがよく分かる。並行作業って全然良いことじゃないなあと思うのです。

現在はっきり練習に取り組んでいないものを含めて、半年以内に本番がある曲数を数えてみたら
なんと18曲もあったよ!
1日に1曲2時間ずつ取り組んで、毎日6時間練習しても1周するのに6日かかる。
室内楽だとそこに合わせの時間もプラスされてくるのでもっとですね。いやあ大変ですね。

計画性の大事さを痛感させられる今日この頃です。


2010/12/06//Mon * 21:03
●○雪の話

雪には良い思い出がない。

思い出1
・自分の記憶の中で最初に雪が降っていたのは40℃の高熱を出して寝込んでいた日。幼稚園休んだ。

思い出2
・自分の記憶の中で2番目に雪が降っていたのはお腹を壊して幼稚園を休んだ日。

思い出(?)3
・胃腸が弱いので寒いとお腹を壊す。よって雪の日が来るとお腹を壊す確率が高まる。

思い出4
・パリ音受験の時、ピアノの練習の為にとある知人の部屋を借りてたんだけど、部屋の中で何故か躓いて転けて紅茶のカップを割ってしまった。笑って許してくださったけど、それも雪の日。



つい先日またパリに雪が降って、今回は俺は元気なんだけど同居人が風邪を引きました。
同居人が風邪を引いたってことは、もう確定的明らかにあと数日で俺も風邪引くよな!くそ!




2010/11/26//Fri * 18:37
●○音楽家の知り合いのブログがピンクばっかりで目がチカチカする件

こう、なんというか没個性というか、個性が命の職業なんだからたまにはどぎつい紫とか黄色と黒の縞模様とか、そういうデザインを採用する人が居ても良いんじゃないだろうかと思う。俺はやりませんが目立ちたい人は是非!


音楽業界以外の知り合いが殆ど居ないので、初めて会った人が知り合いの知り合いだったりする確率が高いから、もう下手なことできない。「あーむさ君、お噂はかねがね…」みたいなのがしょっちゅうある。どんなお噂されてるのかなーとか思いますね。下ネタしか話さないむさ君とか。そんな感じかな。この間コンクール行ったときに知り合った人と帰りの電車が同じで、3つくらい年上のお姉様方だったけど普通に便所トークしてたもんね。公衆便所は汚いから尻を浮かして用を足すっていうから、デッカイ方も中腰でするのかとか聞いたりね。便所のむさ君とか言われてたりするかもね。トイレの花子さん的なね。

今書いてて気付いたけど前回もトイレの話だった。忘れてた。

ピアノの森っていう漫画でも描いてあるんだけど、やっぱりトイレが落ち着く音楽家って結構多いと思う。楽器をそれなりに真剣にやってると家族との軋轢が自然に生まれてくるし(素人でも経験者でもやはり子供には何か言いたがる人が多いし自然だし)、かといって練習する部屋は基本的に親の監視下だし、自室に籠もろうにも「練習しろ!」とプレッシャーが掛かってくるし、そうなると自分を周囲から隔絶しうるのにトイレはうってつけで。

別に音楽家じゃなくてもトイレが落ち着く人はいっぱいいるだろうけど、そういう人は仲良くなれそうな気がする。トイレの中で漫画読んだことある人は大体友達。小説読み耽ったことある人はもう親友レベルかも分からんね。言い過ぎか。



次はトイレの話題にならないように少し気をつけます。

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